「霊感」ってなに?

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A person reading a Bible indoors, symbolizing spirituality and devotion.

「霊感」ってなに?

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聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。

テモテへの手紙 第二 3章16節

聖書を神の霊感によるものと認識しなければ、聖書に対する見方が変わり、キリスト教は根幹から変わってしまいます。それゆえ、聖書が神の霊感によるものであるという認識は必要不可欠なものです。

しかし、実はこれだけでも十分ではありません。なぜなら、”神の霊感”には幅広い認識があるからです。以下に3つの例をあげます。

1 芸術家の受けるような霊感

ミケランジェロ、バッハなど偉大な芸術家たちの偉大な作品は、しばしば”霊感を受けて生み出された” などと表現されることがあります。これは、”刺激を受けた” “ひらめきを受けた” などという意味です。ベートーヴェンも、”音楽は天からの啓示である” と言っています。

しかし、聖書が”神の霊感を受けた” というのは、そのようなものではありません。それは、使徒パウロなどの著者が、芸術家が受けてきたようなひらめきを受けて書かれたものではありません。

この考えの最大の問題は、聖書をただの”偉大な芸術作品” ととらえるだけで、”誤りなき神のことば” ととらえることにはならないことです。逆に、もしそのような霊感によって造られたものは誤りがないのであれば、多くの芸術作品も誤りなき神のことばになり、非常に危険です。

2 完全に神が書かれ、著者はその代筆をしたという霊感

この考えは一見何の問題もないようですが、実は問題があります。というのは、聖書は実際のところは人が書いたことばであり、さらにそこには、その人の教育的バックグラウンドや個性が大いに反映されているからです。単に神のことばを代筆しただけであるならば、どの書も同じような文体になるはずですが、そんなことになっていないのは明らかです。

3 人が書いたことばだが、背後で聖霊なる神の特別な働きかけがあったがゆえに、誤りなく力あるものとされているという霊感

これは2の問題を解決します。聖書は、それ自体は人が書いたことばです。それも、実際の当時の現実的な問題などを踏まえて書かれたものです。そういう意味では、今日牧師たちが、キリスト教会で偽りの教えが浸透し出したのを受けて急遽本を出版するような行為とそれほど変わりないものです。下記のような箇所は、そのことをよく分からせます。

愛する者たち。私たちがともにあずかっている救いについて、私はあなたがたに手紙を書こうと心から願っていましたが、聖徒たちにひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。

ユダの手紙 3節

また以下のような箇所は、聖書がただ神に神秘的とも言えるような形で何かを示されるがままに書かれたものでなく、よく調べて順序立てて書くという、人間的なプロセスもあったということを分からせます。

私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様、あなたのために、順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います。

ルカの福音書 1章3節

しかし、聖書の場合は、今日出版される本とは違い、背後で聖霊の完全な働きかけがありました。それが、”神の霊感”です。それゆえ、聖書の言葉には、誤りが一切ありません。