
感情が湧かなくなっても結婚するべき?
この記事は約6分で読めます。
愛は感情でなく意志である、と言われます。しかし、本当にそうなのでしょうか。
私たちは神を愛するように命じられています。その愛は、全く感情がなくても良いものなのでしょうか。そうであったら、どのようにして喜びなさい、感謝しなさい、などいう命令を全うすることができるのでしょうか。
神の私たちに対する愛は、感情のなきものなのでしょうか。イエス様が下記の箇所で群衆を深くあわれまれたとき、その”あわれまれた”という言葉は、”はらわたがちぎれるように痛んだ”という意味の言葉です。それは感情のない愛なのでしょうか。
また、群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである。
マタイの福音書 9章36節
パウロは、多くの人が十字架を敵として歩んでいる事実を、涙ながらに語りました。彼のキリストへの愛は、感情のないものなのでしょうか。
というのは、私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
ピリピ人への手紙 3章18節
神の愛、そして神への愛には、間違いなく感情が含まれるべきです。であれば、夫婦の愛も、感情が含まれるべきです。
もちろん、感情が冷めることはあります。しかし、神に対する感情が冷めたら、間違いなく私たちは感情を取り戻す努力をします。夫婦であっても、感情を取り戻す努力をするべきです。
それゆえ、結婚前に相手に対する感情が湧かなくなったら、それが一時的な冷めでなく継続的なものであるなら、原因を追求するとともに、結婚をするかどうかについても吟味した方が良いように個人的には思います。
クリスチャンカップルの素晴らしさは、何よりも神への愛で結ばれていることです。お互いの外見や人柄に対する愛もあることはありますが、何よりともに神をより知っていく喜び。ともに人生における聖書的知恵を出し合っていく喜び。ともに教会に仕える形を考え実践していく喜び。ともに伝道する喜び。こういった喜びで結ばれるはずです。聖書的な異性、霊的に成熟した異性であれば必ず感情が湧くはずだ、とまでいうことはありませんが、クリスチャンの相手への愛の原点は、感情面も含め、これらの喜びが中心にあるべきです。