クリスチャンになるにあたり、すべてを捨てて従う覚悟は必要なのでしょうか。
クリスチャンが少ない日本にあって、そんなことを言えば、ますますクリスチャンになる人は少なくなることが予想されます。だからこそ、私たちは”何もしなくていい、信じるだけでいいんだよ”のように、ハードルを下げて伝えがちです。しかし、ここで私たちの主であり神であるイエス様のことばをみてみましょう。
「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。
自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。
あなたがたのうちに、塔を建てようとするとき、まず座って、完成させるのに十分な金があるかどうか、費用を計算しない人がいるでしょうか。
計算しないと、土台を据えただけで完成できず、見ていた人たちはみなその人を嘲って、
『この人は建て始めたのに、完成できなかった』と言うでしょう。
また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようと出て行くときは、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つことができるかどうか、まず座ってよく考えないでしょうか。
もしできないと思えば、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和の条件を尋ねるでしょう。
そういうわけで、自分の財産すべてを捨てなければ、あなたがたはだれも、わたしの弟子になることはできません。
ルカの福音書 14章26~33節
すると見よ、一人の人がイエスに近づいて来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか。」
イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方はおひとりです。いのちに入りたいと思うなら戒めを守りなさい。」
彼は「どの戒めですか」と言った。そこでイエスは答えられた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。
父と母を敬え。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」
この青年はイエスに言った。「私はそれらすべてを守ってきました。何がまだ欠けているのでしょうか。」
イエスは彼に言われた。「完全になりたいのなら、帰って、あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」
青年はこのことばを聞くと、悲しみながら立ち去った。多くの財産を持っていたからである。
そこで、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。金持ちが天の御国に入るのは難しいことです。
もう一度あなたがたに言います。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」
弟子たちはこれを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」
イエスは彼らをじっと見つめて言われた。「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」
マタイの福音書 19章16~26節
上記のような場面をみても、イエス様は、弟子となるにあたり、また天の御国に入るにあたり、財産すべてを捨ててでも従う覚悟を要求していることが分かります。
一方で、下記のように、「この方の衣に触れさえすれば、私は救われる」と考えて行動を起こしただけで、「あなたの信仰があなたを救ったのです。」と言われた人もいます。